

寿司って、いつ頃発祥したの?

寿司の歴史ですね。古くは奈良時代からですよ。

奈良時代!?そんな前からあるの!!

そうなんですよ~
では、解説していきましょう!
【解説】寿司の歴史を簡単に説明してみた!
酢飯の上に、生魚をネタにして握る握り寿司、海苔でネタと酢飯を巻く海苔巻き寿司や、棒寿司、押し寿司、寿司と言っても様々あります。
では、何がどうやって今の形になったのか、寿司の歴史をサラッと解説したいと思います。
寿司の歴史Ⅰ 奈良・平安時代編
画像引用元 japaaan magazine
世界でも知られるようになった寿司ですが、単に寿司というと握り寿司のイメージが強いです。
そのため、寿司の語源を「刺身をごはんの上にのせたもの」と思っている方は、少なからずいます。
でも実は、違うんです。
寿司の始まりは、握りではなく、巻き寿司でもなく、「発酵保存食」なのです。
しかも、酢飯も使いません。
米類は魚を発酵させるために使用するのです。
「魚、塩、米」で漬け込み、上から重石をかけて作る漬物のようなものでした。
米のでんぷんが自然発酵することにより、乳酸ができ、その酸味で腐敗菌の繁殖を抑えていたのです。
この発酵させて作る漬物のような寿司を「なれずし」と言います。
何を隠そう、これが寿司の原型なのです。
ビックリですよね、シャリもない、漬物みたいのが寿司って…。
ちなみに、この発酵による酸味から「酸っぱい」→「酸し」→「すし」という言葉(料理名)が誕生します。
「鮓」、「鮨」、「寿し」、「寿司」とすしの漢字も時代とともに、変化していきます。
奈良・平安時代では、主にこの「なれずし」が主流になります。
ちなみに、漬けてた米は食べずに処分していたようです。
寿司の歴史Ⅱ 鎌倉・室町・安土桃山時代
画像引用元 Rekisiru
鎌倉・室町・安土桃山時代では、寿司はどうなっていったのでしょう。
この時代に入り、なれずしにはデメリットがある事に、気づいていきます。
それは、「漬けてる時間が長い」ということ。
なれずしは、完成するのに3~6ヵ月、長いものだと2年ほどかかるものもあったようです。
そこで改良を重ね、発酵時間を短くして誕生したのが、「なまなれ(生成)」です。
発酵時間を短くしたことにより、米(ごはん)がどろどろにならなくなり、ここで初めて、魚と一緒に米(ごはん)も食べるようになります。
この頃から、寿司が一般の人々にも普及し、大事なごはんを捨てるのはもったいないという意識から「なまなれ(生成)」が、さらに広まっていきました。
寿司の歴史Ⅲ 江戸時代 明治 そして握り寿司の誕生
天下分け目の関ヶ原の合戦が終了し、江戸時代に突入すると、寿司は保存食ではなくなります。
今までは「寿司」と言えば、時間をかけて発酵させてつくる「なれずし」「なまなれ」だったのですが、もっと早く食べることができるようになっていくのです。
そうです。
ここへきて、「酢」が登場します。
この酢の利用によって、誕生したのが「早ずし」です。
乳酸発酵を伴わず、短期間で酸っぱさを出す早ずしが、人々に受け入れられ、江戸の食文化として広まっていき、さらに進化を遂げて、次々と多様化していきます。
「一夜ずし」、「にわかずし」、魚を丸ごと漬ける「姿ずし」、切り身にして漬ける「杮(こけら)ずし」など、続々開発されていきます。
さらに、海苔で巻く「巻きずし」や、「いなりずし」、「ちらしずし」と発展していくのです。
また、一口ずつ食べられるように熊笹でくるんで、軽く重石をかけた「毛抜きずし」が誕生。
この毛抜きずしが、現在の「笹巻ずし」の原型とされています。
すし飯1個に対して、1つの魚の身で笹に包む、この笹巻ずしこそが、握り寿司の布石となっていくのです。
握り寿司の誕生は諸説ありますが、文政年間(1818~31年)の半ばころ、両国にあった興兵衛ずしの華屋興兵衛(はなやよへい)が、握りずし(江戸前寿司)の元祖という説が、1番よく知られています。
江戸時代後期になり、江戸は商業が発展し華やかな町民文化が栄え、芝居、浮世絵、文学などの文化が広まっていきます。
大都市となった江戸には、職を求めて多くの人が集まるようになり、食べもの屋が大流行。
画像参考元 刀剣ワールド
そこで誕生したのが、「屋台式すし屋」です。
すぐにできる握りずしが、江戸っ子たちのファーストフードとして、人気爆発になります。
今の大きさとは違い、おにぎり程の大きさだったようで、1人1~2個ほどで、素早く食べて帰るのが江戸っ子らしく、粋だったようです。
寿司の歴史Ⅳ 昭和・平成・そして令和へ
画像引用元 Japan search
氷も手に入りやすくなり、生の魚貝をすし飯に乗せるようになっていきます。
すると、急激に人気が出始め、屋台ではなく、徐々に店舗(内店)を構えるようになっていきます。
ここで、初めて、お客さんを座らせる椅子席を設けて、すしを提供するようになるのです。
(こうなる前は、すし職人が座り、お客さんが立って食べていた)
いわゆる、現代につながる「すし店」の誕生です。
昭和初期まで、屋台も内店もありましたが、太平洋戦争(1945年終戦)後は衛生上の問題から、屋台は完全になくなっていきました。
太平洋戦争以降は、寿司を取り巻く環境が大きく変わっていきました。
業務用を含めた冷蔵庫の発明と普及により、「生の魚」が主となっていくのです。
さらに、冷凍技術の進歩や国内外の流通の発達によって、世界中から魚介類が入るようになり、すしダネの種類が格段に増え、屋台では数種類だったのが、今では20種類は普通です。
やがて寿司は、「回転ずし」、海外での「すしレストラン」など、あらゆる変化が起こり、今もなお世界中で食され続けています。
寿司は、このように様々な変貌を遂げ、日本を代表する料理となっていったのです。
まとめ
奈良・平安時代 なれずしの誕生
鎌倉・室町・安土桃山時代 なまなれの誕生
江戸時代 明治 早ずし・握り寿司の誕生
昭和・平成・令和 内店・回転ずし・すしレストランの誕生
このように寿司は、進化していきました。
これからも、様々な形の寿司が誕生していくでしょう。
サラッと解説と言いましたが、少々長くなってしまいました。
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